2018年12月5日
鶯谷萬屋 店主 長 由起子さん
東京都台東区根岸3-4-16
TEL: 03-3873-8146 FAX: 03-3873-8142
営業時間 月〜土 8:00〜21:00 日・祝 10:00〜17:00
鶯谷萬屋(よろずや)は昭和三年創業の家族経営の酒屋である。昭和二十五年に法人化した。現在は三代目の由起子さんが代表である。萬屋は神田の駅前に居酒屋「萬屋天狗」を持ち、由起子さんの弟の淳一郎さんが采配を奮っている。居酒屋チェーンの天狗とはまったく無関係の、昔ながらの居酒屋さんである。ただし置いてある酒は特別なものばかりだが。それについては後述しよう。
萬屋の由起子さんとの出会いはまったくの偶然だった。それは2009年に遡る。当時ワイン好きの私と妻は見知らぬ街の見知らぬ酒屋を覗くのを半ば趣味のように楽しんでいた。鶯谷或いは入谷周辺は自宅からさして遠くない土地ではあるが、あえて訪れようと思ったことは特になかった。わざわざ鶯谷駅に降り立ったのは別に理由があり、それは結婚式用のかつら合わせが目的だったのである。
予定の時刻より一時間以上前に到着してしまった私たち夫婦はさっそく鶯谷散策に出かけたのであった。それとも最初から散策するつもりで早く行ったのかもしれない。その記憶は定かではないが、方角もわからぬまま進んだ先で私たちは酒屋を一軒見つけたのであった。それが萬屋である。
萬屋は鉄筋コンクリート造の四階建ての建物に金文字筆書体の巨大な看板が吊り下げられ萬屋のアイコンになっている。ただし歩道が下町によくある非常に狭い道のため、車道を挟んで対岸から見ないと看板の存在に気が付かないかもしれない。私たちもガラス越しに見えたワインボトルをみて酒屋だと気がついた。自動ドアを抜け店内に入ると壁一面ところ狭しとワインが林立し、足元には寝かしたボトルが入った木箱がずらりと並び否が応でも心臓が高鳴り興奮した。店の奥には年配の女性が座っており(あとで由起子さんの母とわかる)、私たちがワインを求めていることがわかると地下にもっとたくさんありますよという。薄暗い階段を降りた先にあったのはうず高く積み上げられたワインの山だった。そしてそこにあるワインはどれも今まで見たことがない銘柄ばかりである。置いてあるワインのほぼすべてがフランス産であったが、一般的に名の知れたシャトーやドメーヌはひとつもなかった。これは相当こだわりがある、そう私は直感した。
私がワインに夢中になっている一方で、妻は何かをみつけて声を上げた。見れば妻はガラス戸がついた業務用冷蔵庫に釘付けである。どんなワインを見つけたのだろうと思って見るとそこにあったのは日本酒だった。菊姫だった。
私にとって菊姫という名前は初耳だったが、妻曰く一番好きな銘柄らしい。店で飲めばかなりの値段がつく酒であるし、そもそも扱っている店自体が少ない貴重な酒なのだという。へえ。私は言った。ふーん。とも言った。興奮冷めやらぬ妻であったが、その日は店に「わかるものがいない」ということであったし、そろそろ約束の時間になる頃だったので私たちはそれぞれ後ろ髪を引かれる思いで店をあとにした。
しかしすぐに再訪することは叶わなかった。先日妻のかつら合わせをしてきたように自分たちの結婚式が間近にせまっていたからだ。式場ならびに披露宴会場はすでに決まっていたがその後については未定だった。二次会というイベントをふたりとも好まなかったので二次会はしないと決めていた。ただ両家の両親や兄弟たちが集まる機会というのはそうないため家族だけで飲める場所は探していた。萬屋のウェブサイトを見ていて、神田に直営の居酒屋があることを知りここにしようと決めたのはその時の心境からして自然のことだった。なにしろ萬屋天狗には本店で扱うワインや菊姫が置いてあると書いてあったからである。
あれほど熱い店主が集めたワインとは一体どんなものなのか。妻はまた菊姫が飲めると喜んでいる。偶然の出会いが結んだ縁である。私たちは勝手にそう解釈し、期待に胸はふくらんだ。
ところが、ところがである。
JR神田駅北口を出て眼の前のアーケードをくぐりぬけ飲み屋がひしめく路地に入ると萬屋天狗がある。チェーン店や最近できたであろう新しいつくりの店のなかにあって萬屋天狗の風格はたくましすら感じる。暖簾をくぐり木戸をガラガラと開けると懐かしく感じる昔ながらの佇まいが出迎えてくれる。近頃あえて古びた風を装った作りの新しい店はよくあるが、萬屋天狗はナチュラルにその風合いを湛えている。似せて作ったのと元々そうある本物とは持っているオーラが違うと言っておこう。
周囲の店は神田に行くたびにどこかが違う店になっていたり改装中だったりするが、萬屋天狗だけは今も昔も変わらぬ姿でそこにある。
店内はかなり広いと言える。厨房に沿ってカウンターテーブルが長く伸び、通路を挟んで重厚な板でできた大きなテーブル席が三つ四つ並ぶ。通路の先は座敷になっていて横に長く十五人くらい座ることができる広さがある。私たちはその座敷席を全部借りて宴会を催した。ワインはコート・デュ・ローヌのドメーヌ・デュ・ジュリアンヌを注文した。ブログを読んでいて店主の一番のおすすめであったように見えたし、ローヌなら普段飲み慣れていたので違いがわかると思ったからである。さて運ばれてきたワインを飲んで愕然とした。端的に言えば美味しくない。もっと具体的に表現を凝らして説明しようと思えばできるが、こういうときは端的に言うのが一番であるからやめておこう。昼間から飲んだり食ったりしているとは言え、舌がわからぬほど酔ってはいない。ローヌ、しかも南のローヌと言えば果実味が豊かでぶどう感リッチなワインだと思っていたが、ジュリアンヌは香りはおろか味わいも今までとはあまりにも違った。それを私たちの未熟な舌は美味しくないと判断したのである。これはちょっと……。いやこんなはずはない。こんなに不味いものをあれだけ情熱を持ってブログに書けるはずがない。ちょっとこれは早急に店主に会って真実を確かめなければいけない。そう私たち夫婦は決意したのでした。
決意した翌週末、私たちは鶯谷萬屋に来ていた。店主の由起子さんはそれまで地下でワイン教室を行っていたところだった。ちょうど私たちが入店した頃に教室が終わり、地下から続々と参加者たちが上がってきていた。いよいよそのときがきた。私は遠回しに話をするが苦手である。それにつまらぬ誤解を招くならいっそのことはっきりとストレートに言ったほうがいいと考える質だ。だから言った。ブログを読みました。ジュリアンヌを飲んでみたくなって天狗で飲んだけど美味しいとは思えなかった、と。すると由起子さんははっきりと否定した。そんなはずはない、と。それからこう付け加えた。実は今日のワイン教室のテーマがジュリアンヌだから、まだ残っているから下で飲んでいきなさい。
地下に降りるとテーブルには飲みかけのボトルが数本置いてあった。すべてヴィンテージ違いのジュリアンヌであった。専門用語で言えば垂直試飲である。どのボトルにも数センチほどワインが残っており、由起子さんは会計が終わったら下りてくるからそれまで好きに飲んでいいと新しいグラスを置いていった。その迫力に圧倒されながらもグラスを傾ける。しかしやはり先日のイメージと変わるところがない。でも香りは今日のほうがいいななどと話し合っているうちに由起子さんが戻ってきた。
味覚というのは経験と知識によって強化されていく。美味しさを知るためには美味しいものをたくさん食べて経験値を上げる必要があるが、それだけでは十分とは言えない。味覚を高めるもう一つの側面知識も合わせて得ることが大切なのであるが、それを信じないひとは意外と多い。そういうひとはたいてい美味いか不味いかは感覚だろと言うのであるが、その感覚を磨くのに知識が欠かせないのがどうしても理解できないらしい。それは感覚と論理を別々に扱うことしかできないからそう思うのであって、本来人間は感覚と論理を併せ持つひとつの存在である。別々に考えるほうがむしろおかしいのだと思えばいいのだが。
テーブルについた由起子さんはワインの香りの嗅ぎ分け方、香りの表現方法、風味の見分け方、味わいの区別方法をボトルをとっかえひっかえしながら説明をしてくれた。由起子さんはほぼクレーマーのような私たち夫婦を相手にドメーヌ・デュ・ジュリアンヌの味わいの奥深さを真剣に語った。結果、私たちの知識が強化され舌が複雑な味を区別できるようになった。それはもう劇的と言っていい。風味を見分けることができるようになると、とたんにジュリアンヌが美味くなった。あっという間に虜になった。ジュリアンヌが大好きになった。
その日以来萬屋のファンになった。
自宅から萬屋まではロードバイクに乗って二十分ほどである。週末になると夫婦で自転車に乗ってお店に行き、由起子さんや由起子さんのお母さんとおしゃべりをしてワインや菊姫を買ってくる。そんなことが日常になっていた。萬屋ではスクールや飲み会的イベントをよく行っている。ワイン会もあれば外国ビール会もあれば菊姫会もある。私たちがはじめてそうしたイベントに参加したとき、由起子さんはほかの参加者たちにむかってこう私たちを紹介した。
「クレーマーの永井夫妻です」
菊姫は石川県鶴来にある酒蔵だ。創業は1573年から1592年の天正年間と菊姫オフィシャルサイトにある。安土桃山時代のことである。古すぎて正確な創業年はわかっていないようだ。ウェブサイトには近代に入ってからの沿革が羅列されているが、菊姫のように歴史がある会社はもっとその歴史を表に出すべきだと思う。広告宣伝という範疇ではなく、こうした歴史は日本人の財産であると思うからだ。
鶴来は金沢より内陸にすこし入ったところにある街である。萬屋ではほぼ毎年菊姫見学ツアーを開催しており、一度だけ連れて行ってもらったことがある。2011年の二月だった。一番寒く一番雪深い時期に行くのはその時期が一番蔵が空いているからである。忙しい日本酒の仕込みはすでに終わり、焼酎を仕込んでいるところだった。
日本海側の冬といえば始終どんよりとした鉛色の雲が垂れ込め、大粒の雪がどどどどっと降っているイメージがあるし実際その通りだが、私たちが行った日はまれに見る快晴。こんなに晴れた日は久しぶりだと地元のひともいうほどによく晴れた一日で雪さえなければ太平洋側と変わらない景色であった。気温こそ低いがそれも日差しが幾分か和らげてくれていた。金沢からローカル線に乗って鶴来駅で降り、駅から数分も歩けば菊姫の本社がある。界隈は菊姫以外の酒蔵もちらほらと目につき、古びた通りの雰囲気も相まって酒蔵の街を演出していて悪くない。
菊姫はもちろん特別な酒蔵であるが、その特殊性をさらに高める「個人的な特別」がひとつあるので紹介したい。妻が萬屋の地下で大量に陳列された菊姫をみて狂喜乱舞したのは前述した通りだが、それは単に菊姫が好きだからではとどまらない。そこには由起子さんをも驚かす秘密が隠されていた。もちろん私だって知らなかった。実は妻は菊姫が好きすぎて学生時代に採用試験を受けているのである。菊姫で働きたいと思うほど好きだったのだ。結局採用には至らず東京で働いたので私と出会うことができたので、結果的には不採用で正解だったわけであるが、もし万が一菊姫に採用されていたらそれぞれまったく違う人生を歩んでいたということだ。この事実は由起子さんを喜ばせ、由起子さんと私たち夫婦の距離を縮める要因になったことは間違いない。
由起子さんにとっての菊姫は由起子さんが二十代の頃に遡る。酒屋に生まれながら日本酒をさして美味いものではないと思ってなく興味もなかったという。それがたまたま店に入った菊姫を飲んだ。「なんだこれは。美味い!」それまで日本酒を飲んで感じたことのなかった感動が湧き上がった。今も昔も菊姫はその生産量ゆえにどこでも買える酒ではない。由起子さんもどのように父が仕入れたのかよくわからないという。しかし偶然に得たチャンスを由起子さんは掴みそして人生が大きく前進する。
菊姫とはどんな蔵なのか。一体どんなひとが作っているのか。作り手にどうしても会ってみたい。会って話がしたい。酒屋仲間のツテを使ってついに由起子さんは菊姫の当主のもとへたどり着いたのである。当主である柳氏は何でも教えてくれたという。それからいつでも遊びにおいでと言ってくれたそうだ。由起子さんはその言葉通り何度も何度も東京から鶴来へと足を運んだという。そして行く度に酒造りの範疇にとどまらない教えをうけて帰ってきた。由起子さんにとって柳氏はメンターになったのだろう。
「菊姫に出会って、人生が変わった」
菊姫が素晴らしいのはその味わいのために徹底しているところである。いやうちだって徹底してるよと他の酒蔵は言うかも知れない。しかしその度合をみればうちはまだまだでしたとなる徹底さである。味わいは濃くて美味いにつきる。或いは深いとも言える。世の中が淡麗辛口一色に染まっても菊姫は変わらず濃い旨口を作り続ける。まったく呑兵衛の酒であるが酒呑みでないひとほど菊姫の美味さがわかるかもしれない。濃く強いがゆえに呑兵衛の酒と言ったが、菊姫は旨味が日本酒にありがちな鼻につんとくるアルコール臭を封じ込めているおかげで飲みやすい酒になっている。「本当に美味しいお酒です」と字義どおりに受け取れる数少ない銘酒なのだ。菊姫の強さは一度飲めば病みつきになり、他にないかと探すが探せば探すほど唯一無二の存在であることを悟る。私も菊姫のような酒をずいぶん探したが結局菊姫しかないという結論に至った。
由起子さんほど正直でまっすぐなひとは今の時代に貴重な存在といえよう。正直というだけでなく純真なひとでもある。裏表は、ない。GRIT JAPAN第一号の打診をしたとき、カメラで撮られることへの抵抗をしめしたがそれよりも人情を優先してくれた。私はその情けにすがりこうしてコンテンツを制作させていただいた。そのご恩は一生忘れない。もしあなたがこれを見て菊姫を飲みたくなったらネットを徘徊せずにまよわず鶯谷萬屋に行ってほしい。その結果は期待以上であることを保証しよう。