2020年3月13日

誠眼鏡店 店主 星野 誠さん

 

新宿店 東京都新宿区西新宿7-11-15 ミヤコビル1F

    TEL:03-6908-8428

    営業時間: 11:30〜20:00 火曜定休

 

銀座店 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル 102

    TEL: 03-6228-6816

    営業時間: 11:00〜12:00(1時間休憩)13:00〜20:00 火曜定休

 

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星野さん。星野誠さんっていいますが、誠眼鏡というメガネ屋さんをやってる星野さんを推薦します。ケイアイウォッチの店主金子純子さんは開口一番そう言った。以前会社員時代に同僚だったが、とにかく実行力が凄くてなんでも挑戦してやり遂げてしまうひと。と言ったようなニュアンスだったと思う。なるほど世の中には凄いひともいるもんだ、私はどんなひとなんだろうと思い浮かべていた。例えば意志の硬い厳しい人相を想像してみた。例えばやり手のビジネスマンを想像してみた。金子さんからこの一週間だけ電話がつながるようにしてもらったので期間内で必ず電話して欲しい、と頼まれた。なんだかよくわからないがとにかく凄そうだ(三回目)。一体どれだけ多忙な方なんだろう。そもそもメガネ屋というのはそれほど忙しくなるものなのか。或いはメガネ以外の事業も手掛けていてそれが忙しくて予約の電話以外にでる時間がないというのか。私は星野誠さんという人物に興味が湧くと同時に緊張も高まった。

 

善は急げと番号をもらってすぐに電話をかける。ところで電話を「かける」という慣用表現は今でも通じるのでしょうか。今のひとは知らないと思うが(私だってその世代ではないが)、昔むかしの電話は壁に掛け時計のように設置されていた。受話器はフックに吊るされていて、電話をするときにフックから外して話をするわけである。しかしこれだと「かける」という動作は電話を切るときの動作となり、電話を使う動作にはなりえない。本題とは関係ないので深堀りしていないが、どうやら電話をかけるというのは声をかけるの「かける」から来た表現のようでした。閑話休題。

 

電話はすぐに電話がつながった。話しかけたが反応がない。やはり超多忙人のためおいそれと電話がつながるはずがないのだ。耳を澄ませていると声が聞こえてくるではないか。あそれでしたらこちらのフレームとかなんとか聞こえてくる。どうやら接客中らしい。しかし通話ボタンを押したところをみるとすぐに電話口にでるかもしれない。そう考えてしばらくその様子を聞いていたが次々とメガネを取り出している様子しか聞こえてこない。一分近く聞いていたが出る様子がないので電話を切った。おそらく多忙すぎて通話ボタンと切るボタンを間違えて押してしまったのだろう。そうだそうに違いない。私は日を改めて電話をすることにした。まだ大丈夫。電話開通期間は一週間だ。

 

 

明くる日、善は急げと私は再び教えられた番号に電話をかけた。呼び出し音が鳴る。さあ出るのか出ないのか。知らないひとに電話をするのは直接会うよりも緊張がする。顔が見えるコミュニケーションは言葉足らずを大いに補完する。だから私のような口下手にとってボディランゲージが使えない電話はもっとも不得意なコミュニケーション方法だ。しかし星野さんはメールはまったく見ていないらしい。仕方がない。電話をするよりほかはない。怖い声だったらどうしよう。ドスの効いた声で「はい、星野です」なんて言われたら思わず切ってしまうかもしれない。そんなことを考えていたのはわずか呼び出し音が二度ほど鳴った間のことである。そして電話が接続した。

 

「はい、もしもし〜!」軽快でよく通る声がスピーカーから響く。むむ、星野さんとはいい声の持ち主だ。そして明るい。私が身分を告げるとすんなり話が通った。

 

 

銀座一丁目に奥野ビルという築八十年を超す古いアパートがある。もともとは住居だったが現在ではアート系のギャラリーが多数入居してそのビルの佇まいと相まって独特の雰囲気がある。エレベーターのドアは手動式で、これはアメリカやヨーロッパではさほど珍しくないが日本ではもうほとんど残っていないのではないだろうか。その証拠に年配の方でさえドアを締め忘れて出ていってしまう。だからドア警報機がしょっちゅう鳴っている。ドアが開きっぱなしだとエレベーターが動作しないからだ。そのビルの一階に誠眼鏡銀座店がある。通りに面していないとあったからアパートの一室を想像していたが、これなら奥まっていても気にならない風情のある店だ。誠眼鏡は新宿にも店舗があり、どちらかというとそちらが本店のようだったが、私の自宅から銀座のほうが近いという理由で打ち合わせ場所に銀座店を指定したのは正解だった。奥野ビルの存在は知っていたが古い建物だなと思うばかりで入ったことはこれまで一度もなかった。もし銀座に訪れたならぜひ立ち寄って見て欲しい。一見の価値がある。もちろんその際はドアの先突き当りにある誠眼鏡店を覗くこともお忘れなく。

 

 

店の昼休みを利用して会いましょうということになっていたが、人気店ゆえに平日にもかかわらず客がひっきりなしにくる。約束の時間に行った時も接客中だった。こうした個人店はウィンドウショッピングをしに来るというよりは購入の意志をもって来店することが多いせいか接客時間は自然と長くなる。その間にビルをあちこち覗いて見て回った。まったくフォトジェニックな建物である。しばらくして再びお店を覗くと客の姿がない。そしてついに星野さんと対面した。

 

 

星野誠さん。底抜けに明るい。そして変なものを身に着けている。その正体は総重量二十キロのウエイトだった。それらは両手、両足、そして胴体に巻き付いている。これは決して自作の重りではなく、トレーニング用ウエイトが売っているらしい。なぜそんなものを身に着けているのかと言えば、登山家三浦雄一郎さんが本のなかで毎日二十キロのウエイトを背負って生活していればだれでもエベレストに登れると言っていたからだという。星野さんは2017年にエベレスト登頂に成功しているが、その後も未だ果たせぬ野望を実現するために毎日ウエイトを装着しているのだ。なにしろ次は宇宙へ行くというのだから体力はいくらあっても困るということはない。え宇宙?

 

 

エベレスト登頂だけではない。星野さんは世界七大大陸最高峰と称する九つの山々も登っている。星野さんは登山家なのか。これはメガネ屋の話ではなかったのか。前者が不正解で後者が正解である。星野さんが山を登ったのは、登りたかったから、である。腑に落ちないか。構わない。この先も腑に落ちない話が続く。トライアスロンの距離を伸ばしたスポーツ、アイアンマンレースというのがある。スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロある。パートによるが一般的なトライアスロンの34倍の距離だ。そのアイアンマンレースをメキシコと北海道で完走した。星野さんはアスリートなのか。否。しかし乾燥しきったゴビ砂漠の250キロマラソンも完走している。

 

 

登山もアイアンマンレースも長距離走も趣味でやっているわけではない。少なくとも一般的な趣味とはその趣きは異なる。星野さんはなぜ登るのか。なぜ走るのか。すべては思いつきである。ふとやってみたいなと思う。おそらくあなたならそう思っても実現するまでに時間がかかるのではないか。もしかすると思っただけでやらないこともある。しかし星野さんは違う。やりたいなと思ったら即実行する。後先は考えない。決めた目標にむかって一直線。猪突猛進という言葉が似合う男である。

 

 

星野さんとお話をしていて、ある話を思い出した。かつて心理学者のユングが調査した話である。

 

文明社会から離れた国の話である。その村で娘がワニに食われた。三人並んで歩いていたところ、真ん中にいた娘がワニに食われたという。なぜワニは真ん中の娘を襲ったのか。この問いに対して文明人は答える術をしらない。なぜなら我々の思考は因果律という法則に強力に縛られているからだ。原因があって結果がある。それが因果律だ。因果律で説明のつかない事象を私達は偶然という言葉で片付ける。真ん中の娘が食われたのは偶然だった、と。しかしこれは優秀な回答とは言えない。そこへいくと、その村のひとの答えは明快だ。なぜ真ん中の娘がワニに襲われたのか。それはワニが真ん中の娘を食いたかったから、である。

 

 

星野さんの話を聞いて、え何?どうやって?どういうこと?という疑問が巡るのは不可避的に因果律で説明をつけようとするからである。この際因果律など関係がないのだ。星野さんはただそれがやりたかっただけ、である。

 

 

 

星野さんの行動は実に突拍子がない。ひとによってはそれが図抜けた行動力と映るかもしれない。ひとによっては無謀と呼ぶかもしれない。どちらの感想をもっても、その根底にあるのは羨望ではないだろうか。そう、星野さんは羨ましいひとである。

 

 

大事なことは、星野さんがやりたいと思った挑戦を全てやりぬいて、生還していることである。エベレストを含め、登山で亡くなるひとは少なくない。ズブの素人同然だった星野さんが登頂し地上に生きて戻っていることは単に体力があるということだけでは説明が十分ではないだろう。星野さんは生きる力が強い。それはいつも自分がやりたいことばかりを考えていて、頭の中が楽しいことでいっぱいのせいと無関係ではないはずだ。

 

 

宇宙へ行ってきます。

 

 

 

宇宙へはいずれ行くのである。つもりではなく行くことになっている。宇宙へいくことは幼少期からの人生やることリストに載っていて、死ぬまでにやり遂げないといけないのである。ところがその宇宙旅行に加えて近年新しい目標を思いついてしまった。火星に行くのである。太陽系最高峰と言われるオリンポス山に登るのだ。標高25000メートルはエベレストのざっと三倍だ。もっとも火星の重力は地球の三分の一だからエベレストの三倍辛いわけではない、とかいう問題ではない。ほらほら因果律で考えない。星野さんはただ自分がやりたいという思いだけで実現にむけて邁進していることを忘れてはいけない。しかしさすがの星野さんも火星旅行では自分が死ぬかもしれないと思っている。死の間際になって、自分の人生に悔いなしと思えればそれでいい。実際星野さんは此岸を離れる瞬間をすでにイメージしている。スティーブン・コヴィの「七つの習慣」で言えば、終わりを思い描いて生きている。あなたは自分の死に際に人生悔いなしと言える自信はあるか。

 

 

星野さんは誠眼鏡店のオーナーである。それなのにメガネの話がまるで出てこないのは、メガネ屋として成功した星野さんを知ってほしいわけではないからだ。あなたにも一度は思い描いた夢がひとつやふたつはあるだろう。それを叶わぬ夢として行動を起こすこともないままに胸にしまい込んでしまっている。夢以外のことを優先している。それが普通であり、それが当たり前であり、みんなそうしているからと諦めている。星野さんはすでにあなたもその一端を垣間見たように、実現にむけて猪突猛進する。そして生きて還ってくる。やりたいことを実現するために多くを犠牲にしてきた。しかしその犠牲でさえ、目標を完遂するための力に変える。登頂しなければ、完走しなければ迷惑をかけた人たちに申し訳がない。犠牲を払った以上、やり抜くのが使命なのだ、と。

 

 

あなたは自分の人生に少しばかり臆病ではないか。遠慮が多すぎやしないか。言い訳が立ちすぎてやしないか。星野さんの生き方はあなたの心を少なからずざわつかせるだろう。その先にあなたがどうするかは、あなた次第だ。星野さんは宇宙に行く。