2020年1月21日

一般社団法人未来の準備室 理事長

コミュニティカフェ・エマノン 室長 青砥和希さん

 

コミュニティ・カフェEMANON

https://emanon.fukushima.jp/

〒961-0905 福島県白河市本町9

0248-57-4067

 

ラクラスしらかわ 福島県南地域移住・二地域居住相談口

https://junbishitsu.jp/iju/

〒961-0951 福島県白河市中町23 折仁ビル102

0248-21-5779

 

Guest House blanc

http://guesthouse-blanc.jp/

〒961-0951 福島県白河市中町24 新駒ビル

 


新がつく新幹線の駅はたいてい中心部から離れていることが多い。新白河駅も例外なく一駅となりの白河駅へ行くには一時間に一本か二本しかない列車を待って五分の道のりを行く。気温は東京に比べて二度や三度ではすまないほど低く、十二月の鋭利な風が肌を切りつける。白河市は福島県の南部に位置し、栃木県との県境にある。となりは那須高原で有名な那須塩原市であるが、白河市は山の裾野に囲まれた盆地のため真冬でも雪は少ないそうだ。もっとも2019年の冬は全国的に暖冬で雪深い地域でさえ雪にならずに雨が降っている。

 

 

駅舎を出てほとんど車のいないラウンド型のターミナルを眺めていると自分が今どこにいるのかわからなくなる。地方は風景の画一化が進みすぎていて駅名の看板を隠したらそこがどこかわからなくなってしまう。その点東京のほうが街それぞれが個性的であり、顔がある。代官山を上野と書いたら違和感しかない。青山と亀戸は間違えようがない。しかし地方都市へ行くとそうした街の個性は失われどんな街の名前でさえ置き換え可能と思えてしまう。白河駅もまた同様だった。

 

 

白河は奥州街道から都へ通じるための関所「白河の関」があったところで歴史的には見どころの大きい街であるが、目の前に広がる風景はなにも教えてくれない。私はグーグルマップに目を落とし目的地を探した。そこは白河駅から歩いて五分足らずの場所にあった。通りは個人商店が点在していたが、シャッターをおろしてしまった店も少なくないようだった。道は左に大きくカーブしてその先は一直線に道路が続いていく。目指していたコミュニティカフェ・エマノンはその曲がってすぐのところにあった。

 

 

引き戸をあけると暖かい空気に顔が包まれる。店内は数台の石油ストーブがオレンジ色の炎をあげていた。一般社団法人未来の準備室理事長であり、コミュニティカフェ・エマノンの室長である青砥和希さんがシャツ姿で現れた。ひょろりと背の高い青年だ。青砥さんは探るような眼差しで私を見ながら自己紹介をした。GRIT JAPANでは通常事前に挨拶日を設定し、お互いに人となりを知ってから後日撮影という段取りを踏む。それは出演候補者に対して私が誰か、GRIT JAPANは何かを知っていただく機会を作ると同時に、私にとってその方がGRIT JAPANに共感しうる人かどうかを知る機会でもある。しかし、今回のように東京から遠い地の場合、事前挨拶を端折って当日初対面で撮影ということもある。本来なら地方でも事前にでかけていってご挨拶をしたいのであるが、距離とそれにかかる費用が重たく実現できていない。そんなとき撮影を決定するかどうかの決め手は推薦者の熱意だけが頼りとなる。

 

青砥さんを推薦してくれたのは活動写真弁士の縁寿さんである。一見つながりが見えないが、以前白河で青砥さんが活弁を企画して縁寿さんを招いて上映会を催したことがきっかけだという。縁寿さんがGRIT JAPANへの推薦者を考えて最初に頭に浮かんだのが青砥さんであった。「東京ではないんですけどね」と縁寿さんは切り出した。福島県の白河というところで頑張っている若者がいる。地元のために取り組んでいてクラウドファンディングで資金調達も成功させている。地元に根付いて白河のために情熱を注いでいる青砥さんはGRIT JAPANにぴったりではないかと言った。「東京じゃないんですけどね、白河ってそんなに遠くないですよ」。

 

 

そうしてすごく遠くもないが近くでもない白河にやってきた。話を聞けば青砥さんもまた東日本大震災によって人生の方向性を動かされたひとりだった。福島出身なのに東京のひとがもっている福島の知識と自分の知識の量に差がないことに愕然とした。出身福島なんだよねと話を向けられてもろくに答えられもしなかった。目はいつも東京を向き、地元など見向きもしなかったからだ。しかし震災は否が応でも福島に目を向けさせた。次第に郷土に対する思いが強くなっていった。白河で自分はなにができるだろうかと考えることがあった。

 

 

青砥さんは大学で地理学を専攻していた。地形や地球上におけるその位置は、そこで暮らす人々に様々な影響を与えている。それは単に暮らし方にとどまらず、考え方、文化、政治も影響を受けている。地方の問題もまた地理学でも研究される分野であった。白河は典型的な日本の地方都市である。よって他の地域が抱える問題はそのまま白河に当てはまった。しかし青砥さんは白河のひとつの問題とそれが解決策になりうるかどうかというある仮説を考えてみた。青砥さんが調査したところによれば、他の地方都市が実践しているような例はみつからなかった。ならば自分が実践してみるより他はなかった。そうしてコミュニティカフェ・エマノンの構想は立ち上がった。

 

 

白河には大学がない。だから進学する子どもたちが白河で過ごすのは高校の三年間が最後となる。そして一度白河を離れれば、ふたたび地元に戻ってくることはまれであった。コミュニティカフェ・エマノンは地元の高校生の憩いの場にすると同時に白河を出ていった大学生と地元の高校生をつなぐ目的がある。地元で行き場のない高校生が目上の人間と気軽に話せる場所として、同時に卒業していったひとたちが地元に帰ってきたときの目的地として機能させたいと青砥さんは考えた。青砥さんが白河に感じた問題は、どこにもいくところがない、だった。ならば自分が行く場所であり帰る場所を作ろうと思ったのである。

 

カフェという形態や場所はみんなが集えるところという意味で大切だ。しかし本当に重要なのはそうした箱ではなく、そこに集う人たちであり、集い続けてもらう仕組みである。高校生はカフェで注文しなくても何時間でもいていいことになっている。勉強するも自由だし友達とおしゃべりをするのだって自由だ。進学の相談をしたいと思えば青砥さんをはじめスタッフが聞いてくれる。そのときかつてエマノンに来ていた元高校生たちとのネットワークが役に立つ。カフェなので大人でもどんな人でも利用可能であるが、高校生をとことん優遇する仕組みを設けているのがエマノンが普通のカフェと大きく違う特色なのだ。

 

 

かつては何の感慨もなく、或いはやっと田舎を出られたという思いで出ていった若者たちばかりであったろう。青砥さんもきっとそんなひとりだった。しかしこれからは違う。今そして将来白河を出ていく若者たちのなかでひとりでも出ていくことに淋しさを感じ、白河人であることに胸をはって巣立っていく若者が生まれるに違いない。そしてそこでエマノンが果たす役割は決して小さいものではないはずだ。

 

 

高校生をターゲットにしているという言い方をすると、少なからず企業のマーケティング担当者の気を引くことになる。どうやったら高校生を集められるんですか。そんな質問を青砥さんは幾度となくされてきた。青砥さんは言う。「高校生というひとはいないんですよ。便宜上高校生と呼んでいるだけで、そこにいるのは伊藤さんだったり鈴木さんだったりみんなひとりひとり別個の人間なんです。」そもそもエマノンでは高校生から収益を上げようとは考えていないのだ。エマノンは言うなれば人づくりの場である。白河(地元)を好きになってくれるひとを作ること。地元から離れても地元との絆を離さないひとを作ること。縦にも横にもつながるひとの輪を作ること。

 

 

地方創生とか、地方再興とかいうととかくモノに焦点があたりがちになる。地元の食べ物、伝統工芸、特産品。そうしたものを東京に出て売るということが地方再生としてよく行われている。しかし本当に地方がその地域で再興を図ろうと思ったときに一番重要なのはモノではなくヒトであると思う。物売りが悪いわけではないが、すぐに現金化できるものにばかり時間を使っていては肝心のひとが育たない。ひとを育てるというのは効率が悪い。時間もかかる。挙句の果てに期待通りに育たないかもわからない。しかしそれこそがひとを育てるということであり、本当の意味での地方再興の鍵はそこにしかない。青砥さんの事業のすばらしい点は、まさにそこに真正面から取り組んでいるいうことにつきる。

 

 

青砥さんは本気で自分の生まれ故郷を良くしたいと考えている。そのための手段としてコミュニティカフェ・エマノンは第一弾であり、すでに第二、第三の計画も動いているという。いずれもモノではなくヒトが主となっている点で青砥さんはぶれていない。将来を展望し未来の白河を見据えているからだ。

 

 

ところで、エマノン(EMANON)とは、NO NAMEの逆さ綴りである。特定の名前を持たないカフェ、それがエマノンである。ここに集う高校生たちが自分たちのカラーをつけていってほしい。自分たちが主体となって活動できる場になってほしい。だからあえて「名前がない」というのを名前にした。自分で思いついたのですかと聞けば、「おもいでエマノン(梶尾真治著)」という本からもらいましたと青砥さんは言った。図書館から取り寄せて読んでみればジュヴィナイル向けのSF小説だった。きっと青砥さんの愛読書なのだろう。

 

インタビュー撮影中、回答にこまるとうーんと唸って目を閉じたきりになってしまうことがあった。初対面でありながら、青砥さんの真面目で真摯な性格が垣間見えた瞬間だった。このひとはいつもこうして何事も咀嚼して悩んで答えを導き出してきたのだろう。この先も悩むことはたくさんあって、その都度青砥さんは深く考えながら新しい道を切り開いていくのだ。なにしろ今青砥さんが実践していることは全国でも例がないことなのだから。いつの日か、白河はどこにでもある地方都市からどこにもない地方都市へと変わる日がやってくる。青砥さんの挑戦が続く限り、やがてひとが育ち、花が開くからである。