2019年12月15日(日)

日本酒専門BAR きたぽん酒 店主 北尾秀仁さん

 

東京都渋谷区広尾1-10-5 日興パレス広尾プラザ103

(明治通り沿い 丼丸広尾店脇入る)

 

定休日:不定休

営業時間:18時〜2時

0時Food Last Order 以降BAR Time

 

オフィシャルサイト

https://www.northtails.com/

 

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国税庁課税部酒税課の清酒製造業の概況によれば、平成二十九年度の全国の酒蔵数は大小合わせて1405。これを多いとみるか少ないとみるかはひとそれぞれだが、実態としては年々右肩下がりの減少傾向にあり、ピーク時の四分の一とか五分の一という数になっている。国税庁による清酒製造業者数の推移表はその事実を残酷なまでにまるで年末のカウントダウンのごとく記している。

 

 

日本酒がその他の酒と決定的に違う点はその名称に国名が入っていることにつきる。つまりワインが世界中で作られることに疑問をもつものはいないが、日本酒が日本以外の国で作られることには抵抗があろう。それだけ日本酒の存在は日本人にとってアイデンティティの一部のように重要なものでありながら、日本人による日本酒の消費量は減り続け、結果それを製造する酒蔵の数も減り続けているのだ。ときにひとは当たり前すぎることに有り難みを感じないものであるが、その当たり前がどんなに有り難いことであったかをなくなってから知るのではあまりにもおそすぎる。

 

 

たとえフランス人がワインを飲まなくなったとしても世界からワインが消えてなくなることはないが、日本人が日本酒を飲まなくなったら日本酒はこの世から消えてなくなるということを個人的な要不要論を超えて考えなくてはならない時期に今まさに来たのだ。

 

ここに一万種類の日本酒を呑んだ男がいる。日本酒専門バー「きたぽん酒」店主北尾秀仁さんである。大抵一つの酒蔵は十〜二十種類のラインナップを揃えているから蔵数と合わないなどと慌ててはいけない。それに二十年かけてそれだけ呑んできたというから酒蔵数も現在よりも多かった時代が含まれている。いずれにせよ素人からすれば一万種類というのは単純に考えてもすごい数だ。それだけの酒を呑んでいながら、北尾さんは根っからの飲兵衛ではなかったという。むしろ日本酒はあまり得意ではなかった。ところが飲食業に関わるようになって酒に触れる機会が必然的に増え、日本酒を飲み、日本酒以外の酒を飲み、日本酒が自分に合っていることを知り、次第に日本酒の虜になっていく。

 

 

日本酒を呑めば呑むほど日本酒が好きになっていく。あれも旨い。これも旨い。それぞれに特徴があり違いが生まれ味わいの千差万別に酔った。そうした日本酒に対する想いとは裏腹に衰退していく全国の酒蔵をみて北尾さんは何を思っただろう。作り手にこそなれないが、日本酒の良さを伝える伝道師にはなれる。いつしか日本酒専門のバーを開きたいという想いは現実の目標になっていた。

 

北尾さんは高級焼き鳥店で長く接客として携わったあと、ついに独立を決心する。2017年のことだった。思い立ったのはいいが希望の物件が見つからない。北尾さんは恵比寿・広尾界隈にこだわっていた。この土地に慣れ親しみ、この地で開業すること以外は考えられなかったという。子どもの頃よく遊びに訪れたのもこのエリアだったし、仕事についてからもこの周辺でずっと働いていたこともあって、恵比寿、広尾が好きなんですと北尾さんは言った。しかし恵比寿や広尾といえば飲食業の激戦区である。あたりはセンスのよい飲食店だらけであり、幹線道路沿いは全国チェーンの店が軒を連ねる。希望の予算と立地を備えた物件がおいそれとみつかるはずもなかった。

 

これぞと思う物件に申し込むも審査に通らない。そうした物件は他のひとにとっても魅力的なのであり、すなわち取り合いなのであった。開業を夢見て北尾さんは何軒となく申し込みそして破れていった。しかしこの地域で開業するというこだわりは捨てられなかったという。転機が訪れたのは2018年十二月のことである。またしても破れた物件だったが、なんとその競争相手が契約を前にして突如降りたのだった。かくして二番手だった北尾さんがめでたく店を確保することができたのであった。

 

 

滋賀県高島市に不老泉という地酒がある。その不老泉を作る上原酒造に北尾さんは年末年始を通じて手伝いに行くことになっていた。ひとつは酒造りを端的にも体験することであり、ひとつは人手不足を補うためであった。店舗物件が決まらず悶々としていた北尾さんにとって、酒蔵のアルバイトは願ってもない申し出だった。申し込んだ物件も今度も決まらないだろうと思って予定を入れ込んでいた。そこへ急転直下の契約打診が来たのだった。念願だった開業に向けての大きな一歩を踏み出したと同時に開業準備と酒蔵の手伝いを同時に進めなくてはならなくなったのは誤算だった。予定をずらして酒蔵入りをした北尾さんを待っていたのは想像以上の肉体労働だった。日本酒の原料は米である。そして一俵は六十キロである。機械化が進んだ現代でさえ、人力に頼る局面は少なからず残っていた。開業準備で神経を減らし、酒蔵で普段使用しない筋肉を総動員した結果、北尾さんは疲労困憊した。

 

 

疲労で倒れそうになりながらも北尾さんは開業準備に取り掛からねばならなかった。これが会社員なら仕事を休んで療養も可能だが、独立した今開業しなければ収入はない。しかし折り悪く内装工事をしてくれる業者がいなかった。東京オリンピックを控えてそうした業者はみな関連の仕事に集中していたからである。ようやく施工業者を見つけ、日本酒専門バー「きたぽん酒」が晴れて開業開店したのは店舗契約から四ヶ月後のことだった。日本酒の良さを伝える店を作りたいという北尾さんの夢はこうして今形になったのであった。

 

 

きたぽん酒には日本酒しか置いていない。ビールもない。最初から最後まで日本酒だけしかないのである。そうした姿勢に私は称賛する。それは店主である北尾さんの信念だからである。そもそもバーという性格上二軒めとして訪れることも多いだろう。とりあえずのビールがある必要はないのだ。あえてビールは置かない。日本酒一本で勝負するという北尾さんの店には常時四、五百種類の日本酒が並んでいる。ほとんど見たことがない銘柄ばかりである。私はその中から菊姫を見つけて喜んだが、ここを訪れる酒好きのお客さんたちすら知らないような日本酒ばかりを揃えているのは北尾さんの密かな自慢である。一升瓶は冷蔵庫に収められたのもあれば室温で置かれているのもある。冷蔵庫にあるのはおそらく抜栓済みの瓶が多く、未開封の瓶は室内のむき出しのラックに収まっている。常温での熟成もまた北尾さんのこだわりなのである。

 

 

たとえばワインは閉栓時に瓶内に封入されたわずかな酸素を頼りに経年変化する。こうして風味や色合いが変わることを熟成と呼んだりする。よくコルクが呼吸するなどと言われることがあるがそれは完全な都市伝説でコルクは酸素を一切通過させないことが実験により明らかになっている。ワインは瓶内に閉じ込められた空気だけで変化するのである。ワインと同じ醸造酒である日本酒もまた同様に年月を経て変化する。その変化を冷蔵庫内で行わずに室温において楽しむのが常温熟成というわけだ。

 

北尾さんは常温(室温)における熟成に日本酒の可能性を感じており、積極的に室内に置きっぱなしにしている。そうした試みができるのも日本酒を何百本と並べられる日本酒専門バーならではと言える。製造元が違えば味が異なるのは当たり前だが、同じ年につくられた同じ酒の違う味わいが楽しめるとなれば幾度も足を運ぶよりほかはあるまい。そして新酒の頃の味わいを思い出しながら年月の変化を楽しむのは一興である。自宅でもやろうと思えばできることであるが、酒を呑む雰囲気はきたぽん酒のほうがずっといいに決まっている。なにしろ日本酒バーなのだから。

 

 

北尾さんは日本酒の可能性を広げる一翼としてお燗にも力を入れて取り組んでいる。冷たくても旨く、温めても美味しいアルコール飲料として日本酒は魅力的である。ホットワインなど不味くて飲めた試しがないが、日本酒の熱燗は確かに旨い。昔はどこの家にも徳利があって、晩酌といえば徳利を温めた熱燗を呑むのが普通の光景だった。私の家も祖父が存命の頃はそうだったが、その後、清酒業界衰退と一致するようにみなくなっていった。かようにお燗は昔からあるなにも珍しいことはない飲み方であったが、冷酒という飲み方ばかりになって少々忘れられた感があった。しかしそれでもなお日本にはお燗にするととてつもなく旨い酒がまだまだあり、北尾さんは島岡酒造のつくる群馬泉(ぐんまいずみ)という日本酒をお燗にして呑んだとき感動し、お燗の持つ可能性を追求する気になったという。

 

 

日本酒バーというのは、ともすれば昔ながらの居酒屋になりがちである。しかしきたぽん酒は北尾さんの独自のセンスにより日本酒専門バーというスタイルを打ち出すことに成功している。恵比寿広尾エリアでは異色の存在と言いながらも、しっかりとその土地らしい佇まいになっているところが長年この地域に親しみ、こだわった北尾さんの本領ではないだろうか。日本の酒、日本酒を知りたいと思ったらぜひ訪れたい店である。