2022年11月14日
オギノエン・ファーム 荻野 茂喜さん
野菜販売は火曜日14:00〜16:00
不定期開催。
SNSにて詳細記載しております。
オフィシャルサイト
https://sustainable-community.jimdofree.com/
インスタグラム
@oginoenfarm
埼玉県所沢市糀谷193
0120-80-2689
食料自給率には二種類ある。ひとつは生産額ベース食料自給率で、もうひとつはカロリーベ ース食料自給率である。一般的に食料自給率といえばカロリーベース食料自給率を指して いると思う。生産額ベース食料自給率は価格に左右されるものであり経済的理由により数 字が上下してしまう。一方カロリーベース食料自給率は一日に必要なカロリーをもとに、そ の内訳として輸入食材がどのくらい、国産品がどのくらいあるのかをみているから経済や 時代に左右されにくい。もっともどのみち日本の食料自給率は下降線をたどっている。農林 水産省によれば、1965 年に 73%あったカロリーベース食料自給率が、2021 年には 38%に 下がっている。ここ二十年ほどはほぼ横ばいとはいえ緩やかに下降しながらの横ばいであ る。農林水産省のサイトには欧米諸国の食料自給率も載っているが、カナダ、オーストラリ ア、アメリカ、フランスが 100%を超えており、ドイツ、イギリスも7〜8割持っている。 この比較表で日本より低い国はなく、ただひとつダントツに低い日本の 38%という数字が 不気味に目立っている。
埼玉県所沢市に自給自足に取り組む農家がある。オギノエン・ファームは有機農業を行う農 家であるが、そこへ自給自足が加わるのは代表のである荻野茂喜さんの強い思いがあるか らだ。荻野さんが農業を行っているのは農家に生まれたからと荻野さんは言うが、荻野さん が中学生の時代、百七十二名いた卒業生のうち農業高校に進んだのはたったの二名であり、 のちに農家を継いだのは荻野さんただ一人だった。農村地域のため、多くの家庭が農家であ ったにも関わらずである。おそらく日本中が同じような状況にあるだろうと荻野さんは言 う。さらに農家の高齢化が進んでいる現在その主力年齢層がごっそりと抜けたあと一体日 本の農業はどうなってしまうのか。
父親から農家を継いで荻野さんは今まで通りの農業に精を出していた。豚舎を構え養豚も 行っていた。がむしゃらに突き進んだと荻野さんは言う。ところがやがて今までのやり方で は早晩太刀打ちできなくなることを悟った。数の規模で国内はもとより海外の生産者と張 り合うのは無理だった。もう少し頑張ろうと思えば頑張れたけど、あそこでやめてよかった と荻野さんは振り返る。このまま農業をしていてももたない。農家のあり方を根本的に改め る。荻野さんは決意した。
農業を、農家をコミュニティ・サークルの拠点にする。それが荻野さんがたどり着いた答え のひとつだった。国連が主催するエコビレッジ・デザイン・エデュケーション(EDE)とい うプログラムがある。これは「持続可能な教育のための十年」をテーマにした教育プログラ ムのひとつで、環境負荷を小さくしてその上で生活の質をあげるためにどうしたらよいの かをテーマとしている。EDE は四つのフレームワークをもち、社会、世界観、経済、環境に分かれそれぞれの視点で持続可能な生き方を学ぶ。荻野さんは 2008 年に日本で初めて開 催された EDE に参加、農家として自分の歩むべき道を定めた。
成⻑と言えば経済的成⻑、お金が増えることだけをさす世間の有り様は未来にそぐわない。 そういう意味で言えば脱成⻑であるが、成⻑はなにも経済に限った話ではない。荻野さんは 広大な農地というスペースを活用することで新しい成⻑を目指した。それは精神的成⻑で あり、コミュニティとしての成⻑であり、環境と共生しながら人々と生きていく上での成⻑ である。来るものを拒まず去るものを追わず、オギノエンという枠の中で様々なひとが交流 できる環境を整えた。精神的に参っているひとが土に触れ山羊に触れひとと触れ合うこと で元気を取り戻していく。世間的に接点のないひと同士が結びつき新しいなにかが生まれ る。もちろんなにも生まれなくたっていい。しかし自然となにかが生まれだす。人間的な成 ⻑をオギノエンの資源を利用して醸成していく。荻野さんはコミュニティという形にこだ わっていないという。出入りが自由で交流の場として活用してくれればいいという。その意 志があればこそ、その敷居の低さがあってこそ、オギノエンは自然とコミュニティとして成 ⻑している。環境に対する持続可能性という行動は、持続可能なコミュニティをもたらし た。
幸せとはなにか。それはお金の多さやステータスやひとよりどれくらい優れているかでは ない。本当の幸せとはひととひととの関係性の中にある。自分が持っているものを与える。 自分が持っていないものが与えられる。支え合う。感謝しあう。こうした人間関係に喜びを 感じる。これこそが幸福である。日本の経済は⻑い低迷期の中にあり失われた二十年などと 言われているが、荻野さんの考える幸福感は高度な経済成⻑の影にその身を潜めたまま、二 十年どころか何十年も失われてきたものである。かつてあったその人間関係とコミュニテ ィは、もしかすると貧しいがゆえに必要に迫られて存在したものかもしれないが、荻野さん は今それを QOL を落とさずに実現しようとしている。
幸せは人間関係からのみ生まれるものではない。もうひとつの幸せは自然からやってくる。 荻野さんにとって幸運だったのは、荻野さんが農家の家に生まれたことである。日常的に土 にふれる機会があり、作物の出来栄えはその年の気候に左右される。自然の影響が常に関与 する環境がある。自然の中に身を置けるというだけで、それは幸せなことである。心を休め にくるひとは、そこに土があり草が生えているからやってくるのではないか。自然を忘れた ひとにとって山や森はときに厳しすぎるものだ。ひとの作った田畑がちょうどよいことも ある。
オギノエンには二つの幸せがある。ひとつはコミュニティの中にあり、もうひとつは畑の中 にある。
所沢市はトトロの里を標榜しているが、このあたり一帯は武蔵野丘陵地帯であり映画に出 てくるような水田とその脇の雑木林という里山風景は存在しない。水田がないのだ(ゼロで はないがほぼないと言っていい)。水田はないが荻野さんは米を作っている。畑で米を作っ ている。それを陸稲(りくとう或いはおかぼと読む)という。稲はもともと陸生の植物であ るが、人間が⻑い年月をかけ水を張った田んぼで成⻑するように改良してきた。現在の多く の米品種は祖先の生き方を忘れてしまったようだが、畑で生育できる稲もまだ数品種存在 する。それは水田が作れない土地でも米を収穫できるようにするためである。それでも収量 は水田で作れる米の七割程度と荻野さんは言う。⻨を作ればもっと楽というがそれでも米 を作るにはわけがある。
荻野さんの作った米は売り物ではない。自家消費のための米である。自給自足は荻野さんの 世界観を実現するための欠かせない仕組みだ。だれかに雇われたら言いたいことが言えな い。やりたいことができない。だからできる限りの自給自足は自分にとって必要なこと。大 変だけどね、今が一番楽しいですよ。荻野さんはそう言って笑った。食料自給率を上げるこ とは発言の自由度を確保するだけが目的ではない。それはどちらかというと付随的なもの で、本当の目的は将来に託す遺産ではないだろうか。多くの農家がそうあればいいと思う し、職業が農業でないひとに荻野さんが思い描く未来が伝わることを願っているし、しいて は衰退の一途をたどる日本の農業に再びひとが戻り日本の食料自給率が七割八割と上がっ ていくことを夢にみて、まずその一歩を荻野さん自身が体現しているのである。
オギノエンに行くと、援農と呼ばれるひとが来ていることがある。ボランティアで農作業を 手伝うひとたちである。荻野さんの思想に共感したり、疲れた心を癒やしに来たり、農業に 興味があったり、ひとによってその理由はいろいろだろうがとにかく援農に来てくれる方 が常時数名いるという。援農頼りになっちゃって、それじゃあいけないんですけど。荻野さ んはそう言ったが、オギノエンが自立したコミュニティになりつつある証拠であろう。園内 にはボランティアの方たちが作った或いは作りかけているものがいくつかある。それらは 平凡な農家の風景に彩りを添え、オギノエンというコミュニティの視覚的なアイコンにな っている。多くのひとの手によってできたものは、荻野さんが望んだ人間関係により生まれ たものである。与え与えられ、助け助けられ。幸せ。
オギノエンには今、羊と山羊と鶏がいる。そこからでた糞が畑の肥料になる。なるべくよそ から余分なものを持ち込まない。米をとれば藁ができ、それを家畜が食べ糞が肥料になって また作物が実る。敷地のなかでぐるぐると回っている。この循環型農業は持続性を意識する うえで欠かせないものであり、同時に自給自足とも相性がいい。無農薬、無化学肥料栽培に よって食の安全も担保される。食べ物というのはとにかく安全でなければならない。過去に農薬による被害を経験したことのある荻野さんは作物の安全性にはことさらに気を配る。 安全性だけではない。殺虫剤を使えばそれだけ環境負荷が高くなる。低い環境負荷で質の高 い生活を目指す荻野さんにとって、無農薬、無化学肥料栽培を選ぶのは当然であった。
自給自足だからといって、突然仙人みたいな生活をするわけではない。目指す世界はあれど も現代社会とほどよく折り合いをつけながら、徐々に徐々になめらかなトランジション。⻑ い時間はかかるけれどもその中で様々な人びとが集まって、知恵が生まれ、活動が起こっ て、影響が広がって。もしかすると今思い描いているのとはまったく違うふうになっている かもしれない。だけど、荻野さんとオギノエンが目指す方角は間違えることなく、日本社会 のあり方のひとつのお手本として定着していくに違いない。
日本の食料自給率
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html
世界の食料自給率
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/013.html