2019年11月21日(木)
陶磁器専門店 とべとべくさ 店主 伊藤貴志さん
東京都台東区西浅草2-7-1
定休日:金曜日
営業時間:12時〜19時
オフィシャルサイト
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東京浅草の西側に合羽橋道具街という業務用調理器具や食器に特化した商店街がある。本来は業務用専門だったが、近年は本物と見間違えるほどリアルな料理サンプルを求めて観光客が集まり、調理器具や食器の豊富なラインナップを目当てに一般客も数多く訪れる商店街になっている。私も何度も合羽橋道具街で調理器具や食器を購入したことがある。見たこともないような機材やそれらを扱う店の数はたしかに圧巻であり買い物も楽しいものであるが、決して値段が安いわけではないという記憶もまた同時にある。いまや価格を求めれば通販に敵うものはなく、合羽橋道具街の魅力は実際に見て触れることができるという点につきる。そして実際に見て触れてみないとわからないものがたくさんあるのが食器の世界である。
商店のそのほとんどはかっぱ橋道具街通りに面して立ち並ぶが、路地を入った先にこそ実は面白い店があったりする。この辺はまったく散歩のしがいのあるところで、気の向くまま足の向くままに目抜き通りを外れて散策してみれば思わぬ発見があるだろう。陶ギャラリーとべとべくさはそんな名もなき通りにひっそりと佇んでいる個性溢れる陶磁器専門店である。
陶磁器の世界というのは、好きな人はとことんのめり込むが、興味のないひとは見向きもしない。すべての趣味がそうだと言うかもしれないが、陶磁器というのは趣味でなくても普段の生活でなくてはならないものであるから、たとえばゴルフが趣味だというのとは次元を異にする。日本人であるならば陶磁器でできた器は毎日使う。茶碗、皿、湯呑、コーヒーカップ、ティーカップ、丼などいくらでもある。今日は陶磁器に触れなかったという日を探すほうが困難だ。日常に溶け込みすぎていて当たり前すぎる存在である陶磁器にひと度目を向けてみれば深遠なる世界が無限の奥行きをもって広がっているのを知るだろう。
例えば今あなたがカフェにいてコーヒーを飲んでいたとする。今までコーヒーが入っていたこのカップはなんだろうと興味をもったとき、最初にとるべき行動は一つしかない。カップをひっくり返すことである。するとカップの底に製造元の印なり名前が書いてあることがある。あまりに大量生産の安物ではその印すらないが、大抵は書いてある。そこにIKEAとプリントされているのをあなたはみてなんだIKEAかと思う。IKEAは質よりも価格と便利さを優先するブランドである。そのようにしてあなたはカフェにいくたびに飲み干したコーヒーや紅茶のカップをひっくり返してみる習慣がつく。みたことのない名前が書いてある。柄がすてきなティーカップを返してみるとウェッジウッドと書いてある。イングランドとも書いてあるので英国製であることはわかる。
あるコーヒー店では荒削りともいえるような無骨なカップにコーヒーが注がれてくる。カップを手にし、表面のなめらかなところとざらざらするところを撫でその触り心地が気にいる。色合いも好みだ。それはくすんだブルーグリーンでその色の濃さも均一さにかけるがその有り様が琴線に触れる。意図的なのか自然がそうしたのかそのカップのもつ独特の風合いにすっかり心を奪われてしまった。底の印を見たいがまだカップにはコーヒーが残っている。そこであなたは指を底に這わせて、印の感触を得ようとする。底は土の粒子が飛び出したようにごつごつとしておそらく印の部分は角が立っている。
コーヒーはまだ温かで体に染み込むように美味い。しかしカップの印が気になって仕方がない。そのときあなたはそのカップが乗っていたカップソーサーに目が行く。その皿はカップ同様の作りになっていて色のつき方は違うがその全体の佇まいから同じものであることはわかる。皿を手に取り裏返すとお目当ての印は見つかったがなんと書いてあるのか読めない。そこで店主に器のことを質問すると、それは信楽焼という焼き物で何々さんという陶芸家が作ったものなのだとそのコーヒーカップの由来が明らかになるのである。
そうしてあなたは焼き物(陶磁器)の世界へと足を踏み入れていく。陶磁器に興味を持つことは良いことである。それは普段あなたが日常的に使っている器がどのようにしてあなたのもとへ届いたものであるかについて考えさせてくれるからである。100円ショップのカップと手作りの五千円のカップはなにが違うのだろうかと考えるきっかけを与えてくれるからである。そこには大量生産品と手作り品という線引きだけではない違いが存在する。そのことに深く思いを馳せることが、これからの時代には大切なことだと私は思う。そこには言葉だけがすり減ったエコロジーの本当が待っているからだ。
「とべとべくさ」という店名は徒然草のようなニュアンスを受けるが、店主の伊藤貴志さんが十代後半から二十代前半にかけてよくみた夢に由来するという。伊藤さんはよく空を飛ぶ夢をみたそうだ。空を飛ぶ夢というのはよくある夢のパターンで私もよく経験した。伊藤さんの場合、飛ぶ瞬間だかにとべとべくさという名の草を食べて飛び立つのが夢の恒例であって、とべとべくさの名は伊藤さんにとってよく親しんだものだった。自ら開業する際につける店名としてとべとべくさが浮かんだことはごくごく自然なことだったと言う。傍からすれば、面白い店名と思えるようなことであってもその由来を知る伊藤さんにとっては真っ当な名称なのであった。飛べ飛べ草!
伊藤さんは気さくで明るく話し好きで誠に商人向きの人間である。生来の目立ちたがり屋と本人が言っていたが、その過去を聞けば頷かずにはいられない。なにしろ目立つことが第一義であり、そのためにやることといったらなんでもよかったのだから。中学生で始めたソフトテニスは持ち前の運動神経とセンスの良さによりめきめきと実力を発揮して大会に出場すると他校からも注目されるほど目立った。高校でもいかんなく発揮したソフトテニスの実力であったが、高三の夏を最後に部活が引退になると目立つ拠り所がなくなった。がっかりしていると友人からバンドでベースをやらないかと誘われる。ミュージシャンは目立つ上にモテる。やってみると興味をもち音楽の道を志そうとバンド活動に精を出した。バンドは高校を卒業して音楽の専門学校へ進みそれから十年続けたそうである。
しかし音楽の世界でメシが食えることはなくバンドは空中分解。そのとき伊藤さんは始めて自分が本当にしたいことは何かを考えた。よくよく考えてみれば、目立ちたいことが一番でありそのために音楽をやっていただけであって音楽が心の底から好きというわけではなかった。それよりも人前にでるときに身につけるアクセサリーとか衣装とかそうしたモノへの関心が高かったことに気がついた。そんな折、偶然食器屋が店員を募集しているのを目にする。その食器屋に形あるモノが好きをつなぎ合わせた伊藤さんは食器屋で働くことになる。
そこで出会った焼き物に伊藤さんは心を打ち震わされた。まるで自然から切り出してきたみたいな色、質感。そのとき伊藤さんにとって器はただの器ではなくなった。信楽焼(しがらきやき)と呼ばれるその焼き物は単なる見かけではない本当の美しさがあった。その焼き物との出会いによって文字通り衝撃を受けた伊藤さんは陶器の世界に魅せられていった。そして将来自分の店を持つ夢を抱き、未来の妻となる女性ともその食器屋で出会うのだから人生どこでなにが始まるかわからない。
ところで、陶磁器というが陶器と磁器はゆるやかに区別されている。陶磁器後進国であるヨーロッパではいっしょくたにされてしまうが、磁器発祥の国中国や早くから製品や技術が伝来した日本では呼び方が異なるように同族別種のような扱いになっている。ひらたく言ってしまえば磁器は石かそれに近い原料の配合が高く、陶器は土の要素が大きいものである、と言える。磁器は石の粉を固めて作るということからイメージできるように白くて硬いものが作れる。それは結果的に薄さを追求することを可能とし、光が透けるほどに薄い磁器がつくられもする。割れたときにその破片が非常に鋭利になるのも磁器の特徴である。あなたの食器棚になる食器のほとんどは磁器ではないだろうか。また磁器はその素材の性質よりほとんど真っ白にしかならないため、多くの場合絵付け、彩色して製品として売っている。佐賀の有田焼が有名である。
陶器は磁器のそれと反対になる。ある程度の厚みが必要なことは熱伝導の低さとして有利に働く。磁器製のティーカップには持ち手がつくが、湯呑には持ち手がつかないのはそういうわけである(ちなみに磁器製の湯呑は熱いお茶をいれることを想定していない)。磁器と違って使う材料の風合いを出しやすく、かける釉薬(うわぐすり、ガラス質のコーティング剤)によっても色合いに変化をつけられることから多種多様な陶器が全国で作られている。伊藤さんが自然から切り出してきたような存在に圧倒された器もまた陶器である。
いよいよ伊藤さんは自分の店を持つ。車庫付きの倉庫だった物件の半分を店舗に、半分を自宅としてとべとべくさは2015年に創業した。倉庫という物件だったが、電気と水道は来ておりトイレもあった。なかったのはガスだけでガス屋に頼んで引いてもらい自分でシャワーボックスを設置した。日曜大工は得意だった。しばらくして商品が売れるようになってきたのでアパートへ引っ越すも七ヶ月でその住処を解約して店舗にもどるはめになった。その顛末はぜひ映像で伊藤さん自身の声を聞いて欲しい。創業したてに直面した苦難苦労は涙と笑いなくして見られない。最初の店舗住まいは折込み済だったが、二度目は想定外だった。すでに住居部分も店舗として拡大してしまったあとのことだった。本当に奥さまは偉いと思った。
窮地を脱しとべとべくさは再び空へと浮かび上がる。そして伊藤夫妻は再び住まいを持った。現在では全国にいる多くの陶芸家と親交を深め、飲食店とのコラボレーションも行っている。一人の陶芸家が作る器を用いて料理人が料理を盛り付けお客さんに知ってもらい楽しんでもらおうという企画である。前回GRIT JAPANで取材したバスク料理レストラン サルデスカととべとべくさはこうして繋がっていたのである。
目立ちたがり屋で、自分が目立つことを優先して生きてきた伊藤さんが、そのステージを陶器や陶芸家にゆずり、裏方を選んだことは伊藤さんにとって大きな進歩であると思う。虚飾を排し本質に目を向けさせてくれた焼き物を愛し、陶磁器の伝道師として活躍する伊藤さんの未来に期待したい。