2019年1月24日(木)

採れたて野菜あれこれ

完一さんに野菜をいくつか紹介して頂きました。単なる紹介にとどまらない魅力的な内容になりました。ぜひこちらもご覧ください。

たがやす倶楽部 齊藤完一さん

千葉県山武市横田689

お問合せ(事務局:服部):fig100m@gmail.com


有機野菜と聞いてなにを思い浮かべるか。有機JASのロゴマークを見たことがあるというひともいるだろう。しかし有機JASの認証を受けなくても有機野菜は作ることができる。認証を受けているから良いもの、受けていないから悪いものという単純な説明はつかない。むしろその逆になることもある。有機農法は信念である。だから単に有機JASのガイドラインに従って作ればいいと考えている農家よりも信念を貫き理想を追い求める農家のほうが品質が高くなることは想像に難くない。つまり、一口に有機野菜といってもすべて違うのである。

 

肥料の話をしたい。有機野菜の有機とは有機肥料をさす。一般的な農業で利用する化学肥料を一切使わず、原料が動植物でできた肥料だけを使用するのが有機農法だ。ではその肥料とはなにか。動物ならそれは糞である。かつて人間の便が肥料だった。畑へいくと肥溜めがありそこに貯蔵していたのだ。子供の頃肥溜めに落ちたという話は今は昔の物語だが、昔はたまに起こっていた。落っこちないまでも片足を突っ込んだという話は親世代からよく聞いたものである。現代では家畜の糞が使われる。糞というのは食べたもののカスである。ではその家畜たちは一体どんなものを食べているのだろうか。そこに気がつくと、単に有機肥料といっても出処が気になって仕方がなくなる。安全だと思って買っている有機野菜が本当に安全なのか自信が持てなくなるからである。

 

有機肥料は植物堆肥というのもある。文字通り植物が原料の肥料である。植物は発酵という過程を経て肥料となる。何を食べているのかわからない家畜の肥料より、こっちのほうが安心して食べられそうな気がするのは私だけではあるまい。そしてその肥料そのものを自家製していると聞いたら間違いないという気にもなる。

 

千葉県の山武(さんむ)市。浜辺で有名な九十九里の隣町である。この土地で三十年以上にわたり有機農法一筋で野菜を作り続けているひとがいる。齊藤完一さんという。

 

 

完一さんは自分の野菜を自分で売る。完一さんの信念に共感してくれる飲食店に卸したり、東京各地に開拓した「売り場」で週末販売をする。東京都江東区亀戸にある道の駅「梅屋敷」もそんな売り場の一つだ。そしてそこで完一さんと私は出会った。

 

 

なぜ有機野菜を食べるのか。これには少し私のことを書いておく必要がある。完一さんに出会う少し前、私は体調を崩していた。とくに腹痛がひどくあまり痛いので病院に行くことにした。そこで医師からこう告げられたのである。薬はね一時的なもの。それで本当に治るわけじゃないから。とにかく食生活を改善しなさい。でないとあんたがんで死ぬよ。

 

 

そうして私は食に目覚めたのである。先生は有機野菜を食べなさいと言った。有機野菜じゃなきゃだめと言った。それに、と先生は付け加えた。有機野菜を買う人がいなくなったら、日本から有機野菜がなくなっちゃうでしょ。東京に住んでいたらいくらでも手にはいるんだから、積極的に有機野菜を買い支えなさい。診察時に先生は食に関するアドバイスを他にもしてくれたが、それは有機野菜とはまたべつの話なので割愛する。この病気を機に有機野菜を食べようとアンテナを伸ばしているところで完一さんに出会ったのである。

 

 

ところでこの医師が有機野菜を勧める理由に無農薬があげられる。ここで今一度整理しておくと、

 

通常の野菜(農薬あり、化学肥料)

 

無農薬野菜(無農薬、化学肥料)

 

有機野菜(無農薬、有機肥料)

と大まかに三分類できると思っていい。

有機野菜は無農薬と書いてないから農薬は使っていると思っているひともいると思うので念の為記しておく。

 

さて、梅屋敷の軒先に並べられた野菜はどれも個性的な顔をしていた。虫食いや不揃いといった有機野菜によくある特徴だけでなく、野菜そのものに力強さを感じたのである。いくつか買って食べてみると、どれも味が濃く深い。その一回の購入で私も家族も「完一野菜」のファンになってしまった。

 

野菜は梅屋敷へ二度週末に売りに来る。そう書くと定期的に決まった日に来ているように聞こえるが実際は違う。土曜に来るのか日曜に来るのか。午前中にくるのか、はたまた午後になるのか。自由気ままな売り方も完一さんの魅力であるが、冷蔵庫の野菜室が寂しくなってくるとこちらは気が気でなくなる。なにしろ美味しい上に価格もリーズナブルだ。もはや余所で買う理由はない。最初こそ買えるのか買えないのか気をもんでいたが、顔見知りになってから連絡先をもらい、今では事前に日時を把握できるようになった。それでも時々急遽変更になったりするから油断ならないのであるが……。

 

美味しいだけじゃない。

 

 

完一さんの作る野菜の美味しさは、身体が欲する美味しさと言える。単に味覚を満足させるだけではない美味しさなのだ。「完一野菜」を食べるようになってしばらくして、ふと気がついたことがある。そういえば身体が軽い。朝の便通がいい。明らかに体調がいいのである。ほかに食生活で変えたことはとくにないから、やはり「完一野菜」のおかげだと思っている。それから肌ツヤがよくなった気がする。潤いが増したとでも言おうか。私は冬になると肌が荒れて唇の皮がガサガサに剥がれてしまうのであるが、今年はそれがない。そして春を迎えて結局ガサガサにはならなかった。毎年冬になればリップクリームのお世話になるのだが、今冬は一度も使うことはなかったのである。これも「完一野菜」のおかげではないかと考えている。因果関係を立証できるわけではないため、これ以上の言及はさけるが、完一さんが映像で言っている「うちの野菜はミネラルが豊富」がいい働きをしているのかもしれない。

 

身体の内側から「完一野菜」を欲し、そして食べて美味しいと感じる。考えてみればとても幸せなことだ。あなたは野菜を食べて幸せになったことがありますか?

 

コーヒー、籾殻、藁、落花生

 

コーヒーかす、もみ殻、藁、落花生の殻。これが完一さんが作る堆肥の原料である。これらの材料を撹拌し発酵させれば堆肥の出来上がりだ。堆肥場には常時数メートルもの堆肥の山がある。堆肥は使ったら新しい材料を入れ古い発酵した堆肥とかき混ぜて発酵を促進させ継ぎ足し継ぎ足し使っていく。この堆肥は完一さんにとって秘伝のタレなのだ。うなぎ屋が火事になったらなによりもまずタレの入った壺を持って逃げ出すというのと同じで、完一さんにとって堆肥は一番大切なものなのである。

 

堆肥を少し手で掘ってみると湯気がたつ。三四十度程度か、ほかほかと温かい。堆肥の山の中心部は七十度くらいまで発酵により生じる熱で上がるという。だから堆肥の上に座るとおしりが温かい。完一さんはこの堆肥場で働くのが一番好きだという。私もそこへ座りながらその気持ちがわかる気がした。

 

 

敏感な人なら堆肥に直に座るなんてと眉をひそめたろう。しかしそれはまったくの杞憂である。まず第一に原料はすべて植物性のものである。つまり糞は入っていない。第二に驚くなかれまったく臭くないのである。もちろん匂いはする。でもそれは嫌な匂いではない。漬物にありそうな匂いと言えるかもしれない。或いは薄めて使えば香水になりそうな香りといっても語弊はなかろう。率直に言って、私はいい匂いと感じた。植物(四種による)の発酵は臭くないというのは新しい発見だった。

 

完一さんは自ら育てたこの堆肥を、畑の肥料としてだけでなく、人の役に立つもの、癒やしを提供する場として生かせないかと考えているそうだ。砂風呂ならぬ発酵風呂に入れる日がくるかもしれない。

 

一面草原の畑

 

完一さんの畑は草原だ。草が青々と生い茂る原っぱだ。畝がなければだれも畑だと気が付かないだろう。この下草は無農薬農法の証である、そう私は思っていた。実際この草の意味を問われれば、ほとんどのひとが私と同じように答えるのではないだろうか。或いは下草が枯れればそれもまた肥料になるかもしれないと。だから完一さんの言葉を聞いた時、まさに目からウロコが落ちた。

 

下草がつけた小さな白い花

完一さんは畑の説明をするとき、ことあるごとに微生物を話題にした。肥料は野菜の為ならず、土に住む微生物の食べ物であること。多くの微生物が住みやすい環境づくりがすわなち土作りなのだということ。よい微生物がたくさんいれば、あとは微生物たちが野菜を育ててくれるのだということ。そうした微生物のための住環境づくりの一環として、紫外線対策は現代の農業には欠かせないものであると言う。そして畑一面に生い茂るこの下草こそがUVカットの切り札だというのである。

 

完一さんは畑の土を掘って顔を近づけて匂いを嗅いだ。嗅いでごらんなさいと言った。森へ行って土を掘って匂いを嗅ぐ。畑の匂いが森の匂いと同じになれば、それは土が出来上がったということ。もちろん人間が作るものだからまったく同じにはならない。でもできる限り近づけることはできる。私はそのためにこうして土を作っているんです。完一さんは味わうように匂いを嗅いでそう言った。

 

 

すべては微生物のため。堆肥をつくり、畑の土をつくる。野菜は微生物がつくる。自然を見方につけてつくり出す「完一野菜」は三十年にも及ぶ完一さんの叡智の結晶だった。

 

 

生命力あふれる野菜

 

ただ美味しいだけじゃない。ただ安全というだけじゃない。完一さんは自身の野菜を「生命力がある」と表現する。生命力がある野菜とはなにか。あとはあなた自身で体感してほしい。「完一野菜」を食べ続けていれば、ある日きっと感じるはずだ。そして興味を持ったら完一さんの畑へ行ってみてほしい。あなたが食べた野菜が育った土地へ。毎年千人近い人が完一さんの畑を訪れているという。なぜそれほど多くの人が訪れるのか。私はそれがわかった。あなたもぜひ足を運んでみてください。きっと感じるものがみつかるはずだ。