本当の大人がそこにいた。
時は明治。欧米の列強が植民地化を虎視眈々と狙う中、鎖国から開港した日本にとって、近代化、西洋化、工業化、軍事力強化は自らの独立を維持するための至上命題だった。そして、それらを急速に成し得る中で、自分たちの弱点である資源の乏しさを痛感していた。戦争はやるなら短期決戦。長期化すれば必ず負ける。軍の上層部が口を揃えてこう言い、ロシアとの講和条約成立を願ったのはどこよりも軍部だった。
日本海沖でのロシア艦隊撃破は、日本がロシアを講和条約へと連れ出すために是が非でも必要だった。そして作戦の妙でロシア艦隊に勝利した事実が、実際にロシアを講和条約へと動かしたのである。
天皇から全権を委任された外相小村寿太郎はアメリカ・ポーツマスでロシアと講和条約締結の会議へと望む。アメリカ大統領ルーズベルトを味方につけるための作戦、ロシアの動向を探るスパイ活動、そしてロシア全権大使ウィッテとの駆け引き。そのひとつひとつに手に汗を握らずにはいられない。まるで映画を見ているようにページをめくる手が止められない。
日本が提示する条件をロシア皇帝はどうしても飲まない。あわや戦争続行という危機に、平和主義者である全権大使ウィッテも頭を抱える。小村も打つ手なしと最終決断を国へ仰ぐ。かくして御前会議により決定した事項が小村のもとへ届いた。それはどんなに妥協をしても講話条約の成立優先、であった。
これにより条約は成立し、戦争が回避された。
この条約締結によって、一番荒れたのは日本の市民だった。なぜ戦勝国である日本が樺太を放棄し、賠償金を放棄しなければならないのか?ならば戦争を継続して一気呵成にロシアを制圧すべし!市民は各地で暴動を繰り返した。しかし市民は事実を知らない。それは資源がなくこれ以上戦えないことを国が隠したからであった。戦力十分、兵士の士気高しと鼓舞し続けたのは、ロシアに日本の弱みを握られないためだった。
ここへ出てくる男たちはみな紛れもない大人である。江戸末期に生まれた男たちは、自分に何ができて何ができないかを知っている。小村は日本の外交力の弱さを知っていた。ヨーロッパの百戦錬磨の外交官たちと渡り合うのに力不足と認識していた。しかし自分にできることは誠実でいることとしながらも、相手を出し抜く算段を忘れなかった。
ぼくはこの本を読みながら、本当の大人たちを見た気がした。いや、実際に彼らは大人だった。ただ年齢を重ねて歳をとっただけではない、大人としての気概と知性が備わっていた。