怪物はささやく

オススメ度

生きる力★★★

親子の気持ち★★★

あったかい気持ち★★★

 

「怪物はささやく」という映画を観た。

ファンタジーの正しい使い方として模範解答のような映画である。

少年は夜な夜な現れる木の怪物に3つの物語を聞かされる。そのどれもがハッピーエンドとは程遠い物語ばかりだ。

それは、悲しい結末というわけではない。良い人と思われていた人が実は悪い人だったり、良いことのように

思われたことが、実は悪いことだったりする。悪い人だと思っていたひとが実は良い人だったということもある。

少年は戸惑う。こんな物語ってないじゃないか、と。

 

ところが木の怪物は言う。

それはお前の手持ちの知識で考えるからだと。世界は広く、世の中は矛盾に満ち満ちている。

怪物は3つの物語を語り終えると、今度はお前の本当の話を聞かせろとせまる。

少年は拒絶する。口をつぐみ、目を閉じた。

 

だが少年に時間はない。怪物はさあ語れ、さあ打ち明けろと迫りくる。

そう、少年の母親は末期がん患者でありその生命は風前の灯火だ。

少年よ目を開け、現実を直視しろ、今お前の感情を言葉にしてぶちまけるのだ。

 

母親に治る見込みがないことを知りながら言葉で嘘をつき、家事を手伝いいい子を振る舞う。

違うだろう。違うだろう?

歪んだ心がいじめを誘う。いじめられるのが本望なのか。

違うだろう。違うだろう?

 

末期がんの母を看取るということは、10歳の少年には重すぎる。

少年はもっと少年らしくなければいけない。そんなふうにして自分を抑圧することは

まるで自分のためにならない。

 

でもそうするより仕方ないじゃないか!

 

そうだ。しかしそれもお終いだ。お前はお前の人生を生きる用意をしなくちゃいけない。

だから、今度はお前が話す番なのだ。

 

少年は打ち明ける。ほんとうのことを。こころのわだかまりを。恐怖を。不安を。満ち足りない感情を。

 

母は死に、少年は新しい生活を祖母と始める。途端に大人になったりはしない。

ただひとつ大きな殻を割り、世間の空気に身を晒す覚悟はできた。