2023年6月20日

法政大学馬術部総監督 宮木康光さん

 

   

 

馬術の歴史に遡れば、今から2400年前にギリシアのクセノポーンが書いた馬術書がある。それ以前にもアテナイ人のシモンというひとが書いたものがあったようだが、現代には伝わっていない。ギリシアがヨーロッパの覇権を握っていた時代に、馬術はすでに完成の域に届いていた。馬術は、戦場で戦い生き抜くための手段であり、日常でその優美な乗りこなしによって大衆の称賛を得るために欠かせないものであった。事実、勇ましく馬に乗る英雄たちの姿は絵画や彫刻に残され、後世に至るまで人々を魅了している。

 

 

 

古代ギリシア人は、人間と馬との間に精神的な繋がりを求めた。馬を尊重しその扱いは極めて丁寧だったという。ギリシア人は自分の命をあずける存在以上のものを馬に見ていたのだ。このギリシア人の馬への考え方はローマ時代に一度失われてしまう。ギリシア人の乗馬技術は仔細に研究されたが、クセノポーンがとりわけ気を配った人間と馬との精神的なつながりについてはまったく無視されて力ずくでの調教を行ったのである。幸いなことに、この感情的な面における馬術が完全に忘れ去られることはなかった。高度な馬術を実現するためには、馬を緊張状態におくことではなく、自然な態勢つまりリラックスさせる必要がある。クセノポーンの主張が多くの馬術家に認められたのである。

 

乗馬は長らく軍隊のものであった。日本においても、帯剣及び乗馬は武士の特権だった。やがて自動車が馬に取って代わり、戦場から騎兵隊が姿を消す。日本の騎兵隊は第二次世界大戦終了とともに消滅する。以後馬術は乗馬を楽しむスポーツとして息づいていくことになる。何千年も続いた馬と戦争との関係がようやく終わったのである。

 

馬術競技は、オリンピックで唯一動物を使った競技である。そして唯一男女が分かれない競技でもある。また、競技にともなう体力的負担の多くを馬が担うため、高齢になっても続けられるスポーツのひとつである、と馬術ならではの特徴がある。その馬術に魅せられたひとは少なくないだろう。しかし極めたひとはそういないのではないかと思う。もちろん本人は極めたなどとは決して言わないが。

 

 

京王線めじろ台駅から法政大学行きのバスに乗って終点の法政大学で降り、桜並木を抜けて十分ほど歩くと小高い丘があってその上に法政大学馬術部がある。そこに馬術を指導する宮木康光さんというひとがいる。宮木さんは多くのひとが考える社会的通念から外れているひとだ。いわゆる一般常識などという枠組みにとらわれないという点で大変興味深いひとである。「生き方」というものがこれほど模索された時代は過去にないのが現代の特徴だが、宮木さんの生き方は凝り固まった視野を広げてくれる生き方の一つであると思う。

 

 

宮木さんは十五歳で乗馬を始めてから六十五年間馬と人生をともにしてきた。宮木さんは今年(2023年)の夏に八十歳を迎える。まさに馬一筋の人生といって差し支えない。差し支えないのだが、ここからが違う。

 

 

宮木さんは1964年の東京オリンピックでは学生でありながら協力員としてオリンピックに参加している。その後馬術指導を数え切れないほど行ってきた。中には全日本チャンピオンになった選手も含まれる。なるほど馬術指導のプロかと思うだろう。だがもしプロの定義が指導の対価にお金を受け取ることだとするならば宮木さんは当てはまらない。宮木さんは指導料を受け取らないのである。一切を無料で教えている。だから本人は自分はプロではなくてアマチュアと言っている。はたしてそうだろうか。

 

 

 

ここで我々は、プロとアマチュアの線引きを仕事か趣味かで二分できるほど単純なことではないと考えさせられる。玄人はだしの素人という言葉があるが、宮木さんの場合それを優に超えている。馬術指導家としてうちに来てほしいという誘いは数えきれないという。しかし宮木さんはすべて断っている。頑なに指導料を取ることを拒んでいる。普通なら喜んで飛びつきそうなオファーをことごとく拒否するところに、宮木さんの人生の個性がある。

 

 

 

「趣味を仕事にしちゃあいけないよ」と宮木さんは言う。つまりそれは自分はどうしてもそれができなかったという意味である。宮木さんの趣味は馬という動物を扱うことである。そして宮木さんは誰よりも馬が好きなのだ。馬に寄り添いすぎて馬の気持ちを考えすぎていつだって馬ファーストだからとても商売道具にはできなかったのである。クセノポーンは技術と同等以上に人間と馬との精神的なつながりを重要視した。宮木さんはそのことへの理解がことのほか深いのである。馬に対して純粋なのだ。

 

 

技術があり経験もある。今の指導方法そのままに仕事にすることは十分可能ではないかと思ったならば、人間社会に縛られている証拠かもしれない。どうしてもお金に結びつけようとするのは生きていくために必要な考え方かもしれないが、宮木さんはそうしない。お金をもらうことで生じる妥協を被るのが自分ではなく馬であることを知っているからだ。同時にお金の持つ怖さも長い人生経験を通じて理解している。馬術の世界では犠牲者はいつだって馬である。大好きな馬がそんな目にあうなんて考えただけで背筋が寒くなる。だから生涯アマチュア。それも至高のアマチュアを目指した。

 

 

 

宮木さんは馬術とは無関係な職業について定年まで過ごした。「わりと時間には融通のきく仕事」だったから、空いた時間に馬に乗った。十分に空いた時間のほとんど全部を馬と過ごしてきた。退職してからは週七日馬術部に足を運んでいる。毎日じゃないですかと言えば、一年で休むのが数日と涼しい顔をして言う。学生よりも出席率がいい。皆勤賞くらいはもらえるかもしれないと冗談めかして笑った。宮木さんは馬が好きで好きで仕方がないひとなのだ。

 

 

 

 

宮木さんは馬術のプロである。クセノポーンが現代に生きていたならば間違いなくあなたは馬術のプロフェッショナルだと認定するだろう。本人は至高のアマチュアでありたいというからプロという呼び方に抵抗を示すかもしれないが、宮木さんの示す態度は馬術家の鏡である。

 

 

 

 

自分の好きなことを仕事にする、ことに非常に熱心なのが現代である。人々はそうでない現状に不満を抱き、趣味と実益を兼ねたひとを羨望する。そうした一意的な方向性に宮木さんの生き方は異を唱えている。別の視点を提供している。新鮮な風を送り込んでいる。実は宮木さんも趣味と実益を兼ねている。しかしそれは金銭という益ではなくて豊かな人生という益である。

 

 

 


 

参考

 

 

クセノポーンの馬術 ヨーロッパ馬術小史 荒木雄豪編 恒星社厚生閣 1995

 

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